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新丸の内ビル7Fのデッキから眺めた復原前の東京駅全景(平成19年5月撮影)。後方に建設中の「グラントウキョウノースタワー(左)/サウスタワー(右)」は、平成19年秋に完成。復元前の丸の内駅舎と、八重洲口の鉄道会館ビル、そしてグラントウキョウノースタワー/サウスタワーが一同に会するこの眺めは、もう見ることができない。 |
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丸の内側駅舎の中央部分にある入り口は皇族が利用するときなどにしか使われず、普段は閉ざされている。一般人は車寄せ部分にも立ち入ることはできない。この扉の先には「松の間」「竹の間」「梅の間」「鹿の間」という貴賓室があり、さらにコンコースまで直結する通路がある。貴賓室は当然ランク分けされており、「松の間」が使えるのは天皇・皇后両陛下だけ。他の皇族や国賓は「竹の間」を使うことになっている。 |
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中央ドームの左側にある丸の内中央口(復原前)。中央口を名乗ってはいるものの、東京駅の改札口・出口の中ではもっとも小規模と言ってもよいほどである。 |
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中央ドームの右側にある駅長室の入り口。復原後はなくなった。 |
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復原前の丸の内側駅舎中央ドーム。 |
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復原後の丸の内側駅舎南口ドーム。 |
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復原工事開始前の丸の内側駅舎南口ドーム。 |
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復原後の丸の内側駅舎北口ドーム。 |
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復原工事開始前の丸の内側駅舎北口ドーム。駅舎前方にびゅうプラザが入る新しい建物(写真右側のグレーの建物)ができたため、レンガの名駅舎がよく見えなくなってしまっていた。 |
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かつて年末に行われていた「東京ミレナリオ」開催時の夜景。「東京ミレナリオ」のメイン会場は丸の内仲通りだが、東京駅周辺もこのようにライトアップされていた。通常のライトアップは、通年行われている。ちなみに「東京ミレナリオ」は、東京駅丸の内側駅舎復原工事の関係で平成17年をもって休止となった。 |
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休止中の「東京ミレナリオ」の代わりとして平成18年12月28日〜30日に開催された「光都東京・LIGHTOPIA」の模様。東京駅丸の内駅舎前には、「シティスフェア」という球体のオブジェが設置された。このオブジェはただ光るだけでなく、内側からいろいろな絵柄を投影できるようになっていた。
※この画像は、「ぶらり東京〜23区巡り〜」様よりお借りしました。この場を借りて御礼申し上げます。(この画像に限り、転載を固く禁じます。許可も出せません) |
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丸の内中央口の前にある、「東京駅」と刻まれた石碑。この石は、八重洲側にあった外堀の埋め立て工事中に、八重洲橋の基礎から発掘されたもの。石には○の中に十文字が入れられた島津藩の紋章(島津製作所の社紋にもなっている、アレ)が刻まれており、江戸時代に外堀の工事を任されたのが島津藩であることを物語っている。駅舎復原後もこの石碑はこのままこの場所にある。 |
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復原後の東京ステーションホテル入り口。丸の内中央口と丸の内南口の間にある。 |
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復原前の東京ステーションホテルの入り口。 |
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復原前のドーム内部(上写真)と、復原後のドーム内部(下写真)。
復原後は様々な意匠なども忠実に再現され、実に荘厳な雰囲気となっている。 |
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平成19年10月25日、八重洲側と丸の内側を結ぶ改札内地下通路に、新しいエキナカ商業施設「GranSta(グランスタ)」がオープンした。これまでのエキナカとは違い、まるでデパ地下のような雰囲気で、47の店舗が営業している。営業時間は月〜土曜が8:00〜22:00、日曜・祝日が8:00〜21:00となっている(一部、朝7:00から営業する店舗あり)。
以前もこのエリアには飲食店がいくつか営業していたが、「GranSta」はイートインできるお店よりも持ち帰り主体のお店が多くなっている。
これに伴い、1FコンコースとGranStaを結ぶエスカレーターが3カ所整備された。1F中央通路とGranStaを直結するものも新設され、地下へのアクセスが容易になっている。また、八重洲地下中央口改札の営業時間が7:30〜21:00から7:30〜22:00に延長されている。 |
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「GranSta」のオープンに伴って、従来から地下にあった待合スペース「びゅうスクエア」も改装された。このスペースは、原則として特急券を持っている乗客専用となっている(改装前の画像はコチラ)。
改装後には「ステーションコンシェルジュ東京」というコーナーが設けられ、英会話も堪能なスタッフが駅やその周辺の総合案内を行っている。また、これまで駅改札内にはなかったコピー&ファックスサービスと、外貨両替サービスも登場した。下写真の右側にある窓口が外貨両替窓口である。国際空港には不可欠のこのサービスも、駅構内に設けられるのはたいへん珍しい。なお、かつてこのコーナーはディラ東京メディアコート内にあった。
びゅうスクエアの利用時間は8:00〜20:00。コンシェルジュの利用時間は9:00〜20:00である。 |
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こちらは、「GranSta」の一角にあるクロークコーナー。その日の利用に限り、乗客の手荷物を大小にかかわらず一律500円で一時保管してくれるほか、宅配便の受付も行う。冷蔵・冷凍品も受付けるので、GranStaで購入したお土産をここから直接配送すればかなり便利である。ただし、預けた荷物は20:00までに引き取らなければならないので、それを超える場合は周囲にあるコインロッカーを使ったほうがよい。 |
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東京駅の待ち合わせスポットといえば、「銀の鈴待ち合わせ場所」。八重洲地下中央口から入って、階段を上らず直進したところにある。平成に入ってから2度ほど移転しており、平成6年8月以前は八重洲中央改札付近の改札外にあった。現在の広場ができたのは平成14年12月1日。銀の鈴が東京駅に登場したのは昭和43年で、現在の鈴は4代目である。
平成19年10月25日の「GranSta(グランスタ)」オープンに伴い銀の鈴も代替わりした。新しい鈴はアルミ合金製で、東京藝術大学の宮田亮平学長がデザインを手がけた。イルカの意匠が施されており、直径は80センチ、重量は70キロ。毎時0分には鈴の音の環境音楽が広場に流される。3代目の鈴が撤去された10月11日から交換までの数日間は、パネルによって代用されていた。(3代目の頃の広場の画像はコチラ) |
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「セントラルストリート」にある「駅弁屋 祭」。日本各地の多彩な駅弁が販売されており、土日ともなると店内は身動きも困難なほど混雑する。ライブキッチンスペースも2カ所あり、各地の駅弁業者が入れ替わりで実演調理を行なっている。ここより品揃えは劣るが、素早く買いたい場合は少し離れたところに「駅弁屋 踊」という小規模な店を使うこともできる。 |
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丸の内地下北口改札付近の改札外にある「動輪の広場」。総武線の地下ホームができた昭和47年に、日本の鉄道百周年を記念して整備された。動輪の主はC62型15号機。後方のガラスで仕切られた部分は、東京駅構内唯一の喫煙所。ここ以外は、一部の店舗内しかタバコが吸える場所はない。 |
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丸の内中央通路から、総武線地下コンコースへと下りる階段のところに掲げられていたステンドグラスには「天地創造」というタイトルが付けられている。昭和47年の総武線地下ホーム完成時に設けられ、原画は福沢一郎画伯、製作は大伴二三弥氏が担当した。なお、現在この場所には大型モニターが設置されており、ステンドグラスは京葉線地下コンコース(ベイロードからつながる階段を下りた辺り)へと移設されている。 |
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一見単なる扉に見えるが、この扉は貴賓室からつながる通路のコンコース側出口である。東北・上越・長野新幹線の南乗換改札の向かい付近にあるが、その存在に気付く者は少ない。この扉の向こうには、赤絨毯が敷き詰められている。 |
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丸の内南口改札外にある「原首相遭難現場」のプレート。大正10年11月4日、第19代内閣総理大臣原敬(はら・たかし 1856〜1921)はこの場所で襲撃を受け暗殺された。原首相が倒れた地点には赤いタイルがはめられていたが、駅舎復原後はなくなってしまった。犯人は、当時大塚駅の転轍手を務めていた中岡艮一。 |
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中央通路の9・10番線に上る階段付近にある「浜口首相遭難現場」のプレート。昭和5年11月14日、第27代内閣総理大臣浜口雄幸(はまぐち・おさち 1870〜1931)が、当時はこの付近にあった第4ホーム上にて銃撃を受けた。そのときはかろうじて命を取り留めたが、その傷が元で翌年死亡した。襲撃された際に発した「男子の本懐である」というセリフは有名で、当時の流行語にもなった。犯人は右翼団体愛国社社員の佐郷屋留雄。 |
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東海道新幹線18・19番線ホームの南端部にある、新幹線の生みの親・十河伸二(そごう・しんじ 1884〜1981)の碑。自筆による「一花開天下春(いっかひらいててんかはるなり)」という言葉が刻まれている。 |
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丸の内中央改札付近の改札内にあった、赤煉瓦ポスト(初代)。右側の投函口に郵便物を入れると、オリジナルの日付スタンプを押して配達してくれる。 |
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コチラが二代目の赤煉瓦ポスト。丸の内口駅舎復原とともに代替わりした。 |
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広場北西の一角にある銅像は、鉄道の父と呼ばれる井上勝(いのうえ まさる 1843〜1910)の像である。伊藤博文らとともにイギリスへ留学した経歴を持ち、明治5年の鉄道開業時に尽力した。ちなみに、現在の像は二代目である。丸の内口駅舎の復原工事に伴って10年間ほど撤去されていたが、平成29年12月の丸の内駅前広場完成に伴い再び設置された。中央口付近に設置されていた頃の画像はコチラ。 |
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丸の内北口の北側、中央線の高架下にある、「丸の内鉄道橋記念塔」。これは元々、日本橋川を跨ぐ鉄道橋に装飾として建っていたものだが、中央線の高架工事の際に支障になったため撤去され、現在地に移設されたものである。 |
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3・4番線ホームの上屋の一部は、大正3年の開業時からのものが今でも現役で使われている。一部の柱も開業時からのもので、全部で12本残っているうちの数本は緑色に塗られているので、簡単に識別できる。柱の上部を見ると、たかがホーム支柱に至るまで趣向を凝らして造られたことがよく分かる。なお、屋根の掛け替え工事のため、この柱は平成27年2月に撤去された。今後は保存される方針とのことである。 |
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平成18年10月中旬から12月中旬までの約2カ月間、丸の内北口改札において「発電床」の実験が行われていた。これは、乗客が踏んだときに起きる振動で微量の電気を作るというシステムで、将来的にはこの電力で自動改札を動かすのが目的だそうだ。しかし今の技術では、東京駅にある全ての改札にこの床を設置しても、発電できる電力は100ワットの電球を約10分間つけられる程度らしく、実用化はまだまだ先の話のようである。改札の横には電光パネルが設置されており、その日に発電された電力を確認することができた。
同様の実験はその後も何度か行われたが、場所は丸の内北口から八重洲北口へと移された。 |
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平成19年3月8日、東京駅日本橋口に、JR東日本が手がけるオフィスビル「サピアタワー」が完成した。地上35階、地下4階建てで、4〜6階には貸し会議場「東京ステーションコンファレンス」(5月7日オープン)が、27〜34階には「ホテルメトロポリタン丸の内」(5月24日オープン)が入居している。 |
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ホテルメトロポリタン丸の内の客室から見下ろした東京駅の夜景。運良く南側の部屋が割り当てられると、このような景色を楽しむことができる。同様の景色は27Fのレストランからも見られる。 |
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丸の内地下南口改札付近に設置されている、天然スレートで作られた壁画「輝く」。これは東京駅丸の内側駅舎の屋根にも使われている宮城県石巻市雄勝町産のスレートと同じものでできており、東日本大震災による大津波によって被災した同町の小中学生たちによって製作されたものである。 |
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京葉地下八重洲口付近に展示されている「R.T.Oレリーフ」。R.T.Oとは「RAILWAY TRANSPORTATION OFFICE」の略で、第二次大戦終戦後にGHQが設置した鉄道事務所のことである。その事務所をこの東京駅にも建設するにあたり、「何か進駐軍の度肝を抜くものを作ってやろう」という理由から作られたもののようである。丸の内側駅舎の復元に伴い、この場所に設置展示されることになった。 |
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八重洲口に建設された「グランルーフ」のデッキ部分。右側の壁の向こうはすぐ東海道新幹線ホームでアナウンスなどもよく聞こえるが、車両は残念ながら見ることができない。また、「グランルーフ」の名の通りデッキには帆を模した大屋根がかけられているが、かなり高い位置にありホーム側の隙間も大きいため、強い雨の時はあまり意味をなさないと思われる。 |