高架下に設けられた改札口 |
東口 |
東口にあった旧駅ビル「T BOX」 |
高架化前の西口 |
事故が起きた駅南側の有人踏切 |
駅北側にあった有人踏切 |
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【歴史】
竹ノ塚駅は、明治33年に追加開業した駅。東武鉄道が北千住〜久喜間を開業させた約半年後のことだった。
【ホーム構造】
複々線の内側の緩行線のみに、高架島式1面2線のホームがある。ホームと改札階を結ぶエレベーターは設置済み。地上時代のホームも島式1面2線だった。
【改札口・出口】
改札口は1カ所のみで、高架下にある。出口は東口と西口の2カ所。高架前の改札は橋上駅舎上の3階にあった。高架化工事中は改札が仮設地下通路に移されていた。
【その他特筆事項】
・駅南側には東京メトロ日比谷線の千住検車区竹ノ塚分室(旧・竹ノ塚検車区)があるため、一部に竹ノ塚を始発・終着とする列車もある。
・レイルウェイライターの種村直樹はこの竹ノ塚に住んでいた。著書にも割とよく登場するので、鉄道ファンのあいだでは有名だ。なお、宮脇俊三宅の最寄り駅は京王井の頭線の東松原駅である。
・竹ノ塚駅は駅の両側を有人踏切に挟まれた、今時極めて珍しい駅だった。しかし平成17年3月15日夕方、南側の踏切において、踏切保安員が列車接近中にもかかわらず誤って遮断機を上げてしまう事故が発生。つられて踏切内に入った4人が準急電車にはねられ、2人が死亡、2人が負傷するという惨事になった。
この事故を機に、同年9月24日に北側の踏切が、29日に事故のあった南側の踏切が順次自動化された。これで人為ミスは防げることとなったが、開かずの踏切であることは依然として解消されていない。また自動化によって、閉まっているあいだもずっと警報音が鳴り続けるようになる(手動時代は閉まっているときは切っていた)という副作用も発生した。
東武鉄道はこれまでエレベーターがなかった竹ノ塚駅西口にエレベーターを設置し、竹ノ塚駅の自由通路としての機能を強化した。また、踏切付近には自転車も通行可能なエレベーター付き跨線橋が完成し、線路の横断は事故前に比べていくぶんは楽になった。
だが、事故を受けて梅島〜谷塚間の高架化を求める声は高まり、東武鉄道では高架化事業に着手。令和4年3月20日、駅周辺の高架化工事が完了した。
・高架化前の東口には駅ビル「T BOX」を併設されていたが、高架化工事が本格化した平成24年をもって全店舗が閉店した。ただし、建物自体は高架化完成の令和4年3月時点ではまだ残存している。
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